会話版〜ホントウの間柄② [舞台]
会話版〜ホントウの間柄②
「初めまして。お世話になります。杉浦浩美です」
「!」
「!」
「…あのう… 入ってもいいですか?」
「あっ! ああごめんなさい! どうぞお上がりください」
「靴はどうすれば」
「玄関に回しとくから」
「すいません」
「こっちの人が」
「あ、すいません」
「はい」
「玄関から入ればよかったですね。すいません」
「いいのいいの。あ、どうぞお座りください」
「失礼します」
「あたし、お茶持ってきましょうね」
「すみません」
「あんた今、見とれてる?」
「えっ! やめてよ」
「そうか。さっき見えた、変なものの正体はこれか」
「え?」
「いや」
「あのう… 明日香ちゃんは?」
「今ね、シャワー浴びてる」
「ああ」
「3年ぶりにあんたに会えるってさあ、嬉しくて現在磨き上げてるのよ、全身を」
「全身を?」
「そう。初日には見られるはずのないところまで、念入りに」
「そ、そうですか」
「波子。チラ見やめろよ」
「み、見てませんよ。お茶どうぞ」
「ありがとうございます」
「私は、有藤波子。この下宿の住み込みの管理人をしています」
「雇われよ、雇われ。結婚してたんだけど、もどってきたの。出戻りで雇われ」
「あ、はい」
「初対面でそこまで言わなくても」
「旦那がキャバクラの女に入れ揚げて…」
「エリザベス! ごらぁ!」
「ひっ! …働き者だけど、時々、切れるのが玉にきず。元ヤンだったのねー。レディースっていうの?」
「だから、バラシすぎ」
「はーい」
「改めて紹介するわね。こちら、小林高弥さん」
「小林です」
「杉浦浩美です。よろしくお願いします」
「小林さんは、一階のお部屋。個人タクシーの運転手。あ、知ってるわね」
「さきほどはお世話になりました」
「ど、どうも」
「ぎこちねえぞ。男やもめ」
「こちらは、昨日までフランシーヌ麗子さんだったんだけど、今日からエリザベス麗子さん」
「え? エリザベス?」
「占い師をなさってるの。占い師の芸名みたいなもの?」
「占いは芸じゃないよ。能力。どうも、エリザベス麗子です」
「よろしくお願いします」
「リズって呼んでくれる?」
「…リズ… あ、はい」
「リズさんは、二階に住んでるのね。明日香ちゃんも二階。ここは一階に二部屋、二階が三部屋。あなたも二階の部屋を使ってください」
「わかりました」
「明日香は、あなたと隣の部屋がよかったみたいだけど、間にあたしの部屋が入ってる」
「あ、そうですか」
「ごめんね。邪魔して」
「いえ」
「えーっと… リンゴ食べます?」
「いただきます。すいません」
「今、むきますね」
「確認するけど、いい?」
「確認? …あ、はい」
「杉浦浩美さん… でいいんだよね」
「杉浦… 浩美です…」
「野本明日香の昔ッからの知り合いの、明日香の先輩の、杉浦浩美さんだよね」
「はい」
「元柔道部で、現在医大生の」
「はい、よくご存じですね」
「そりゃあもう、夕べ明日香から耳に蛸ができるぐらいに聞かされたから」
「そうですか」
「ホントに耳にタコだったんだよ。タコ、見る?」
「あ、いや、遠慮しときます」
「結構立派なんだけど」
「いえ」
「あんたもなんか聞くことないの?」
「いっ? いや、無いよぉ」
「あたしは、あんたがこの人に今一番聞きたいこと、何だかわかってるよ」
「やめてよ」
「波子も、聞きたいんでしょう」
「やめてください」
「柔道部では主将までやったんだって?」
「はい」
「すごいねえ」
「まあ、主将と言っても、別に強い部でもなかったから、そんなに活躍したわけでもないです」
「柔道部は、全員男?」
「はい、そうです。あ、高校の途中から女子柔道部も出来ましたけど」
「あんた、男子部だろ?」
「はい」
「あんた… 美人だねえ」
「あのいや、そんな」
「紛れもなく、美人だわ。うん」
「あの… はあ」
「美人だと思わない? 思うよね、小林」
「えっ…」
「思うだろ」
「まあ…」
「思うよな」
「はい」
「波子は?」
「リズさん!」
「どう思う? 美人だよね!」
「やめてくださいよ」
「美人だと思うだろ!」
「…思います」
「ほら。みんな美人だって。よかったね」
「ありがとうございます」
「杉浦く… 杉浦さんも飲んで」
「はい。いただきます」
「今、杉浦君って言おうとした」
「やめてくださいって」
「うわあ。三年ぶりです『おーいお茶』飲むの。おいしい」
「おいしいのよ、伊藤園やるなって感じ?」
「ヤな空気充満してるよ。突破するのは誰かな」
「どうですか? この下宿。気に入りました?」
「ええ。明日香ちゃんから写メは貰ってたんだけど、やっぱりジカにみると、ちがいますね」
「古いでしょ」
「でも、3年もボストンにいたから、新鮮です」
「暮らせそう?」
「もちろんです!」
「そ。よかった」
「小林、行けよ」
「ボストンは!」
「はい」
「…何があるの?」
「ザックリした質問だなあ」
「大学が多いですね。アメリカでは古い方の街なんです」
「松坂、いたんでしょう?」
「いましたね」
「どんなヤツ? 松坂」
「会ったことはないので…」
「そうだよね」
「松坂のリハビリさあ、うまくいくといいね」
「そうですね」
「松坂がね」
「松坂の話はもういいよ。あのさ」
「はい」
「もう一つ、別の方法で確認したいことがあるんだけど、いいかな」
「別の方法?」
「そう。さっきとは別」
「あ、はい… 何を…」
「怒ンないでね」
「え? あっ」
「ご、ごめんなさい杉浦さん! ちょっとリズさん。どこ触ってるんですか!」
「小林。間違いないわ。胸いじってる」
「ちょっと麗子さん!」
「ごめんなさいね」
「あ、はい…」
「ホントにごめんなさい」
「大丈夫です。ある程度覚悟して来ましたから」
「ホントはもう一カ所の方行った方が確実なんだけど、ほら、もし有った時に、大変なことになるでしょう?」
「やめてくださいよ」
「リンゴ、食べてください」
「いただきます… おいしい!」
「明日香ちゃん!」
「浩美先輩?… 浩美先輩!」
「うん」
「やっと会えた! 久しぶり、先輩! うれしい、浩美先輩だ! 浩美先輩だ… 浩美… 先輩だ…」
「…えっ… 浩美先輩? 浩美先輩…」
「どう?」
「どうって?」
「明日香ちゃん! あたしね、女の子の体になったんだ!」
「へぇっ?… へぇっ…」
「さあ、面白いことになってきた」
○同日・十分後ぐらい
「明日香ちゃんは、全然知らなかったのかい?」
「明日香ちゃん…」
「とりあえず、写真は返しておくわ」
「ダメだ。完全にほうけてら」
「しょうがないかも知れないけど。こんな振られ方したんじゃ」
「ちょっと。あんた何言ってるの。まだ振られたかどうかわかんないじゃない」
「えっ… だって…」
「今判明してるのは、明日香の憧れの男が、女の体になって帰って来たってことだけなんだよ」
「うん…」
「それで充分でしょう!」
「いや、充分じゃない」
「どうして」
「向こうの恋愛の趣味が、どのタイプに属するのか、分からないじゃない」
「どのタイプ? 恋愛の趣味が? どういうこと?」
「あんた年の割りには世間知らずだから、説明してあげよう」
「うん」
「恋愛にはいくつかのパターンがある。これは理解できるね」
「うん、なんとなく出来る」
「一応整理しておくと、その1!『男と女の恋愛』その2!『男と男の恋愛』その3!『女と女の恋愛』大きく分けると、この三つだ」
「ええっと… そうだね」
「あんたはどれ?」
「男と女のパターンだよ。麗子さんは?」
「なんで人にそんなこと言わなきゃならないのよ」
「えっ… オレには聞いたじゃない」
「あんたはぼんやりしてるから、うっかりしゃべるだろうと思ってね」
「ぼんやりって…」
「いいかい。こういうのは、非常にデリケートな問題なんだ。それで悩んで死んじゃう人だっているんだよ」
「そうなんだ」
「毎週、その手の悩みを占いに来てた人がサ」
「麗子さんのところに?」
「リズって呼びな。あんたさっきから麗子麗子って」
「リズ…さん… 違和感あるなあ」
「で、何の話だっけ?」
「だから、毎週占いに来てた人」
「ああ、そうそう。その人が、やっぱり自分の恋愛趣味について悩んでてさ。ある日突然、ぱたりとこなくなったと思ったら、その人、亡くなってたんだよ」
「へえ… え、でもリズさんはその人の名前も住所も知らないんでしょ?」
「まあ、基本、占い師に自分の氏素性を告白するヤツはいないからね」
「どうしてその人が亡くなったってわかったの? あ、家族の人が報告に来たとか?」
「いいや」
「じゃあ、友達とか?」
「いいや。毎週占ってもらってたことは、誰にも言ってなかった」
「じゃあ、どうして亡くなったってわかるの?」
「亡くなったあとにさ、本人が報告に来たの」
「えっ…」
「自殺だったんだよ。それで、『すいません、この道を選んでしまったので、もう占ってもらうこともありません』ってさ」
「本人が?」
「本人が。つーか正確には、本人の霊魂だけどね」
「いっ?」
「それで、恋愛の趣味は、まだ細かく分けられるんだ」
「あ、そうなの」
「たとえば、『男と女の恋愛』でも、実は同性愛と、異性愛に分けられる」
「…どういうこと?」
「一番多いのは、男と女で異性愛」
「ああ、ノーマルなやつね」
「あんたね。ノーマルなんて言ったら、場合によっちゃぶっ飛ばされるよ」
「どうして?」
「ノーマル以外の人を、アブノーマル扱いしてることになるからだよ」
「…はあ…」
「異性の恋愛はヘテロとかストレートって言うの」
「だけど、男と女は異性に決まってるんでしょ?」
「外見はね。でも、ちがうかもしれない。男の方が男の見た目だけど、心が女だった場合、見た目は男と女だけど、心は女同士の同性愛。同じように女の方が女の見た目だけど、心は男だった場合、見た目は男と女でも、男同士の同性愛。男が見た目男で心が女、女が見た目女で心が男だった場合は、見た目は男と女でやっぱり異性愛。ただ、見た目と中身が逆。わかる?」
「もう無理」
「見た目が男同士と女同士についても講義しようか?」
「やめといて。頭、爆発する」
「じゃあ、具体論に移ろうか」
「ねえ、なんでリズさんはそんなに詳しいの?」
「昔、大学の講師だったことがあってさ。この手の授業も何コマか持ってた」
「えっ? 占い師の前は、ペットのトリマーだったんじゃないの?」
「その前だよ」
「リズさんて、何者なんですか。で、具体論て?」
「この状況で、明日香の恋愛が成就するパターンには何があるか」
「もう無いでしょう。この状況は。ひとごとながら、あんまりな状況だもん」
「いや、無いではない」
「あるの?」
「考えてみよう。まず、あの浩美って子は、わざわざ女の体に作り替えたんだから、心はまず女と思って間違いない」
「そうだね」
「一方、明日香は、今のところ同性愛ではない」
「うん… えっ、今のところってなに」
「可能性があるとすれば、浩美が心は女でも恋愛は同性愛者であり、同性愛者として明日香をスキになる。明日香ももともとは異性愛者だけど、同性愛を受け入れる。このパターンだけだね」
「明日香ちゃんが同性愛者に? それはないでしょう」
「いや、愛の力はそんなに単純なものではないかもしれないよ」
「そうかなあ… 明日香ちゃんが同性愛者にねえ…」
「あっ! いけね! 明日香ちゃんいるんじゃん!」
「聞こえてないよ」
「明日香ちゃん! 明日香ちゃん!」
「あ、小林さん」
「明日香ちゃん… 今の話、聞いてた?」
「今の話? なに?」
「ホントだ。聞いてねえや」
「二階はだいたい、ああいう感じです」
「はい」
「じゃあ、今度は洗面所とお台所とお風呂の説明しますからね」
「お願いします」
「こっちよ」
「あ、はい」
「ねえ、明日香ちゃん。明日香ちゃん!」
「明日香ぁ!」
「あ、はい」
「明日香ちゃんさあ」
「うん?」
「全然知らなかったの? 浩美君の手術のこと」
「全然知らないよぉ」
「メールでも、一言も?」
「一言もなかったよ」
「日本にいる頃も、そんなそぶりなかった?」
「そんなそぶりって、どんなそぶり?」
「必死に隠してきたんだな」
「ああ! もう! 混乱して、気持ちが整理できない! 小林さん!」
「えっ… なに?」
「こんな振られ方って、ある?」
「さあ…」
「経験ある? 好きな女性がいきなり男になってた」
「無い無い」
「フランシーヌさんは?」
「リズ」
「え?」
「今日から、あたしのことはリズって呼んで」
「どうして?」
「今夜から占いの場所を変えるの。それでせっかくだから、今日からフランシーヌからエリザベスに名前を変えることにしたんだわ。だけどエリザベスは長いから、リズ。リズって呼んで」
「混乱材料が、また増えたぁ」
「あたしはこの手のこと、経験無いではないよ」
「!」
「あたしが、おなべバーやってたとき、惚れられた女がいてさ」
「…なにやってたって?」
「あたしが、おなべバーやってたとき」
「おなべバーって何?」
「女なんだけど、男の格好してる人がやってるバー。おかまバーの逆」
「小林さん、そんなとこいくの?」
「いや、時々乗せるお客さんに、何人かおなべさんがいるから知ってるの。リズさん、いつそんな商売してたの?」
「大学講師とトリマーの間」
「謎、多いなあ」
「そのころ、あたし目当てに通ってくる人妻がいて。もう夢中になられちゃってさ。家庭崩壊寸前。でも、あたしの場合は『職業おなべ』だったから、離婚されても受け入れられないからさ」
「どうしたの?」
「正直に言ったさ。『あたし、こんな格好してるけど、これは商売でさ。男が好きなんだわ』って」
「どうなったの?」
「果物ナイフで脇腹刺された」
「!」
「!」
「ここんとこ。傷跡みる?」
「見ませんよ!」
「だから… ね… 明日香もへこたれずに頑張りな」
「参考にならないですよぉ!」
「お風呂は、だいたい8時には沸かすようにしてます」
「入る順番は? 決まってるんですか?」
「うん。うちの場合は時間が不規則な職業の人ばかりなので、特に決まってはいません。ま、あ・うんの呼吸ってやつかな」
「わかりました」
「たとえ、お風呂が沸いてなかったとしても、シャワーは二十四時間、いつ使っても大丈夫」
「はい…」
「あと、お食事なんだけど」
「えっ、あ、はい」
「うちは一応、賄い付きです」
「そう聞いてます」
「なんだけど、さっきも言ったけど、時間が不規則な人が多いので、時間を決めて食事はしません」
「はい」
「私が、だいたい朝の7時と、夕方の6時に大皿料理とご飯なんかを用意しておきますので、好きな時間にあっため直して、あっちの食堂~つったって大したところじゃないけど~勝手に食べちゃってください」
「逆に助かります」
「で、食べたら、横のノートの『食べた』にチェック! 一回200円。毎月徴収します」
「なるほど」
「食べたら、食器は洗ってしまっといてね」
「わかりました」
「さてと、一休みしますか。座って」
「はい。失礼します」
「お茶、もっと飲む?」
「いえ」
「そう。じゃあ、私は買い物に行ってきますね」
「あ、リズさ…」
「えーっと…」
「…あっちいこうかなあ」
「…僕は、あっちに行くべきだと思うんだ… うん」
「…あっ! なんか眠い! やっぱ非番は眠い!」
「眠い! 眠すぎる! 断然眠いから、ガンガン寝るゾォ!」
「明日香ちゃん」
「ただいま」
「…お帰りなさい」
「いい下宿を紹介してくれて、ありがとう」
「いや」
「賄いがついてるって、すっごくありがたいの。医学部はホラ、時間がないから」
「…」
「作ってる暇ももったいないし。外食は高いし」
「…」
「今日、このあと時間あるんでしょう?」
「…」
「下宿の周り、案内してくれるんだよね」
「…」
「約束したでしょう? 覚えてる?」
「…」
「びっくりしたよね」
「びっくりしました」
「だよね」
「どうして言ってくれなかったんですか」
「ごめんね」
「どうして一言相談してくれなかったんですか」
「…相談か…」
「ごめんなさい」
「ひどいですよ」
「…」
「ひどいですよ。勝手に!」
「…」
「…勝手にそんなことしちゃうなんて…」
「やっぱり、一つ屋根の下に暮らすのは、抵抗ある?」
「…そんなことないけど」
「そんなことないけど?」
「そんなことないです」
「…そう… だったらよかった。あたし、荷物の整理してくるね。本格的に荷物が届くの、あしたなんだけどさ」
「浩美先輩!」
「なに?」
「歩きやすい靴、持ってきてます?」
「スニーカーあるけど。なに?」
「一休みしたら、スニーカー持って、下りてきてください。下宿の周り、案内します」
「…ホントに?」
「…約束だから」
「…わかった。ありがとう」
○同日・夕方
「ああ、もうこんな時間だわ。ええっと… 小林さんは、まだ寝てる。リズさんは… もうすぐ仕事っと。明日香ちゃんと浩美ちゃんはどこ行ったんだろう」
「あたし、ちょっと寝ちゃった」
「そりゃ、しょうがないですよ。これから夜遅くまでお仕事なんですから」
「浩美と明日香は?」
「さあ… あたしが買い物から帰ってきたら、もういなかったみたいですね」
「早速デートかな」
「どうなんでしょう、それは」
「やっぱり、女同士には抵抗ある?」
「というか、なんかあたしまだ混乱して。あ、お食事できてますから、いつでも」
「それにしても、あの浩美って子、いい女だわ」
〜③に続く
「初めまして。お世話になります。杉浦浩美です」
「!」
「!」
「…あのう… 入ってもいいですか?」
「あっ! ああごめんなさい! どうぞお上がりください」
「靴はどうすれば」
「玄関に回しとくから」
「すいません」
「こっちの人が」
「あ、すいません」
「はい」
「玄関から入ればよかったですね。すいません」
「いいのいいの。あ、どうぞお座りください」
「失礼します」
「あたし、お茶持ってきましょうね」
「すみません」
「あんた今、見とれてる?」
「えっ! やめてよ」
「そうか。さっき見えた、変なものの正体はこれか」
「え?」
「いや」
「あのう… 明日香ちゃんは?」
「今ね、シャワー浴びてる」
「ああ」
「3年ぶりにあんたに会えるってさあ、嬉しくて現在磨き上げてるのよ、全身を」
「全身を?」
「そう。初日には見られるはずのないところまで、念入りに」
「そ、そうですか」
「波子。チラ見やめろよ」
「み、見てませんよ。お茶どうぞ」
「ありがとうございます」
「私は、有藤波子。この下宿の住み込みの管理人をしています」
「雇われよ、雇われ。結婚してたんだけど、もどってきたの。出戻りで雇われ」
「あ、はい」
「初対面でそこまで言わなくても」
「旦那がキャバクラの女に入れ揚げて…」
「エリザベス! ごらぁ!」
「ひっ! …働き者だけど、時々、切れるのが玉にきず。元ヤンだったのねー。レディースっていうの?」
「だから、バラシすぎ」
「はーい」
「改めて紹介するわね。こちら、小林高弥さん」
「小林です」
「杉浦浩美です。よろしくお願いします」
「小林さんは、一階のお部屋。個人タクシーの運転手。あ、知ってるわね」
「さきほどはお世話になりました」
「ど、どうも」
「ぎこちねえぞ。男やもめ」
「こちらは、昨日までフランシーヌ麗子さんだったんだけど、今日からエリザベス麗子さん」
「え? エリザベス?」
「占い師をなさってるの。占い師の芸名みたいなもの?」
「占いは芸じゃないよ。能力。どうも、エリザベス麗子です」
「よろしくお願いします」
「リズって呼んでくれる?」
「…リズ… あ、はい」
「リズさんは、二階に住んでるのね。明日香ちゃんも二階。ここは一階に二部屋、二階が三部屋。あなたも二階の部屋を使ってください」
「わかりました」
「明日香は、あなたと隣の部屋がよかったみたいだけど、間にあたしの部屋が入ってる」
「あ、そうですか」
「ごめんね。邪魔して」
「いえ」
「えーっと… リンゴ食べます?」
「いただきます。すいません」
「今、むきますね」
「確認するけど、いい?」
「確認? …あ、はい」
「杉浦浩美さん… でいいんだよね」
「杉浦… 浩美です…」
「野本明日香の昔ッからの知り合いの、明日香の先輩の、杉浦浩美さんだよね」
「はい」
「元柔道部で、現在医大生の」
「はい、よくご存じですね」
「そりゃあもう、夕べ明日香から耳に蛸ができるぐらいに聞かされたから」
「そうですか」
「ホントに耳にタコだったんだよ。タコ、見る?」
「あ、いや、遠慮しときます」
「結構立派なんだけど」
「いえ」
「あんたもなんか聞くことないの?」
「いっ? いや、無いよぉ」
「あたしは、あんたがこの人に今一番聞きたいこと、何だかわかってるよ」
「やめてよ」
「波子も、聞きたいんでしょう」
「やめてください」
「柔道部では主将までやったんだって?」
「はい」
「すごいねえ」
「まあ、主将と言っても、別に強い部でもなかったから、そんなに活躍したわけでもないです」
「柔道部は、全員男?」
「はい、そうです。あ、高校の途中から女子柔道部も出来ましたけど」
「あんた、男子部だろ?」
「はい」
「あんた… 美人だねえ」
「あのいや、そんな」
「紛れもなく、美人だわ。うん」
「あの… はあ」
「美人だと思わない? 思うよね、小林」
「えっ…」
「思うだろ」
「まあ…」
「思うよな」
「はい」
「波子は?」
「リズさん!」
「どう思う? 美人だよね!」
「やめてくださいよ」
「美人だと思うだろ!」
「…思います」
「ほら。みんな美人だって。よかったね」
「ありがとうございます」
「杉浦く… 杉浦さんも飲んで」
「はい。いただきます」
「今、杉浦君って言おうとした」
「やめてくださいって」
「うわあ。三年ぶりです『おーいお茶』飲むの。おいしい」
「おいしいのよ、伊藤園やるなって感じ?」
「ヤな空気充満してるよ。突破するのは誰かな」
「どうですか? この下宿。気に入りました?」
「ええ。明日香ちゃんから写メは貰ってたんだけど、やっぱりジカにみると、ちがいますね」
「古いでしょ」
「でも、3年もボストンにいたから、新鮮です」
「暮らせそう?」
「もちろんです!」
「そ。よかった」
「小林、行けよ」
「ボストンは!」
「はい」
「…何があるの?」
「ザックリした質問だなあ」
「大学が多いですね。アメリカでは古い方の街なんです」
「松坂、いたんでしょう?」
「いましたね」
「どんなヤツ? 松坂」
「会ったことはないので…」
「そうだよね」
「松坂のリハビリさあ、うまくいくといいね」
「そうですね」
「松坂がね」
「松坂の話はもういいよ。あのさ」
「はい」
「もう一つ、別の方法で確認したいことがあるんだけど、いいかな」
「別の方法?」
「そう。さっきとは別」
「あ、はい… 何を…」
「怒ンないでね」
「え? あっ」
「ご、ごめんなさい杉浦さん! ちょっとリズさん。どこ触ってるんですか!」
「小林。間違いないわ。胸いじってる」
「ちょっと麗子さん!」
「ごめんなさいね」
「あ、はい…」
「ホントにごめんなさい」
「大丈夫です。ある程度覚悟して来ましたから」
「ホントはもう一カ所の方行った方が確実なんだけど、ほら、もし有った時に、大変なことになるでしょう?」
「やめてくださいよ」
「リンゴ、食べてください」
「いただきます… おいしい!」
「明日香ちゃん!」
「浩美先輩?… 浩美先輩!」
「うん」
「やっと会えた! 久しぶり、先輩! うれしい、浩美先輩だ! 浩美先輩だ… 浩美… 先輩だ…」
「…えっ… 浩美先輩? 浩美先輩…」
「どう?」
「どうって?」
「明日香ちゃん! あたしね、女の子の体になったんだ!」
「へぇっ?… へぇっ…」
「さあ、面白いことになってきた」
○同日・十分後ぐらい
「明日香ちゃんは、全然知らなかったのかい?」
「明日香ちゃん…」
「とりあえず、写真は返しておくわ」
「ダメだ。完全にほうけてら」
「しょうがないかも知れないけど。こんな振られ方したんじゃ」
「ちょっと。あんた何言ってるの。まだ振られたかどうかわかんないじゃない」
「えっ… だって…」
「今判明してるのは、明日香の憧れの男が、女の体になって帰って来たってことだけなんだよ」
「うん…」
「それで充分でしょう!」
「いや、充分じゃない」
「どうして」
「向こうの恋愛の趣味が、どのタイプに属するのか、分からないじゃない」
「どのタイプ? 恋愛の趣味が? どういうこと?」
「あんた年の割りには世間知らずだから、説明してあげよう」
「うん」
「恋愛にはいくつかのパターンがある。これは理解できるね」
「うん、なんとなく出来る」
「一応整理しておくと、その1!『男と女の恋愛』その2!『男と男の恋愛』その3!『女と女の恋愛』大きく分けると、この三つだ」
「ええっと… そうだね」
「あんたはどれ?」
「男と女のパターンだよ。麗子さんは?」
「なんで人にそんなこと言わなきゃならないのよ」
「えっ… オレには聞いたじゃない」
「あんたはぼんやりしてるから、うっかりしゃべるだろうと思ってね」
「ぼんやりって…」
「いいかい。こういうのは、非常にデリケートな問題なんだ。それで悩んで死んじゃう人だっているんだよ」
「そうなんだ」
「毎週、その手の悩みを占いに来てた人がサ」
「麗子さんのところに?」
「リズって呼びな。あんたさっきから麗子麗子って」
「リズ…さん… 違和感あるなあ」
「で、何の話だっけ?」
「だから、毎週占いに来てた人」
「ああ、そうそう。その人が、やっぱり自分の恋愛趣味について悩んでてさ。ある日突然、ぱたりとこなくなったと思ったら、その人、亡くなってたんだよ」
「へえ… え、でもリズさんはその人の名前も住所も知らないんでしょ?」
「まあ、基本、占い師に自分の氏素性を告白するヤツはいないからね」
「どうしてその人が亡くなったってわかったの? あ、家族の人が報告に来たとか?」
「いいや」
「じゃあ、友達とか?」
「いいや。毎週占ってもらってたことは、誰にも言ってなかった」
「じゃあ、どうして亡くなったってわかるの?」
「亡くなったあとにさ、本人が報告に来たの」
「えっ…」
「自殺だったんだよ。それで、『すいません、この道を選んでしまったので、もう占ってもらうこともありません』ってさ」
「本人が?」
「本人が。つーか正確には、本人の霊魂だけどね」
「いっ?」
「それで、恋愛の趣味は、まだ細かく分けられるんだ」
「あ、そうなの」
「たとえば、『男と女の恋愛』でも、実は同性愛と、異性愛に分けられる」
「…どういうこと?」
「一番多いのは、男と女で異性愛」
「ああ、ノーマルなやつね」
「あんたね。ノーマルなんて言ったら、場合によっちゃぶっ飛ばされるよ」
「どうして?」
「ノーマル以外の人を、アブノーマル扱いしてることになるからだよ」
「…はあ…」
「異性の恋愛はヘテロとかストレートって言うの」
「だけど、男と女は異性に決まってるんでしょ?」
「外見はね。でも、ちがうかもしれない。男の方が男の見た目だけど、心が女だった場合、見た目は男と女だけど、心は女同士の同性愛。同じように女の方が女の見た目だけど、心は男だった場合、見た目は男と女でも、男同士の同性愛。男が見た目男で心が女、女が見た目女で心が男だった場合は、見た目は男と女でやっぱり異性愛。ただ、見た目と中身が逆。わかる?」
「もう無理」
「見た目が男同士と女同士についても講義しようか?」
「やめといて。頭、爆発する」
「じゃあ、具体論に移ろうか」
「ねえ、なんでリズさんはそんなに詳しいの?」
「昔、大学の講師だったことがあってさ。この手の授業も何コマか持ってた」
「えっ? 占い師の前は、ペットのトリマーだったんじゃないの?」
「その前だよ」
「リズさんて、何者なんですか。で、具体論て?」
「この状況で、明日香の恋愛が成就するパターンには何があるか」
「もう無いでしょう。この状況は。ひとごとながら、あんまりな状況だもん」
「いや、無いではない」
「あるの?」
「考えてみよう。まず、あの浩美って子は、わざわざ女の体に作り替えたんだから、心はまず女と思って間違いない」
「そうだね」
「一方、明日香は、今のところ同性愛ではない」
「うん… えっ、今のところってなに」
「可能性があるとすれば、浩美が心は女でも恋愛は同性愛者であり、同性愛者として明日香をスキになる。明日香ももともとは異性愛者だけど、同性愛を受け入れる。このパターンだけだね」
「明日香ちゃんが同性愛者に? それはないでしょう」
「いや、愛の力はそんなに単純なものではないかもしれないよ」
「そうかなあ… 明日香ちゃんが同性愛者にねえ…」
「あっ! いけね! 明日香ちゃんいるんじゃん!」
「聞こえてないよ」
「明日香ちゃん! 明日香ちゃん!」
「あ、小林さん」
「明日香ちゃん… 今の話、聞いてた?」
「今の話? なに?」
「ホントだ。聞いてねえや」
「二階はだいたい、ああいう感じです」
「はい」
「じゃあ、今度は洗面所とお台所とお風呂の説明しますからね」
「お願いします」
「こっちよ」
「あ、はい」
「ねえ、明日香ちゃん。明日香ちゃん!」
「明日香ぁ!」
「あ、はい」
「明日香ちゃんさあ」
「うん?」
「全然知らなかったの? 浩美君の手術のこと」
「全然知らないよぉ」
「メールでも、一言も?」
「一言もなかったよ」
「日本にいる頃も、そんなそぶりなかった?」
「そんなそぶりって、どんなそぶり?」
「必死に隠してきたんだな」
「ああ! もう! 混乱して、気持ちが整理できない! 小林さん!」
「えっ… なに?」
「こんな振られ方って、ある?」
「さあ…」
「経験ある? 好きな女性がいきなり男になってた」
「無い無い」
「フランシーヌさんは?」
「リズ」
「え?」
「今日から、あたしのことはリズって呼んで」
「どうして?」
「今夜から占いの場所を変えるの。それでせっかくだから、今日からフランシーヌからエリザベスに名前を変えることにしたんだわ。だけどエリザベスは長いから、リズ。リズって呼んで」
「混乱材料が、また増えたぁ」
「あたしはこの手のこと、経験無いではないよ」
「!」
「あたしが、おなべバーやってたとき、惚れられた女がいてさ」
「…なにやってたって?」
「あたしが、おなべバーやってたとき」
「おなべバーって何?」
「女なんだけど、男の格好してる人がやってるバー。おかまバーの逆」
「小林さん、そんなとこいくの?」
「いや、時々乗せるお客さんに、何人かおなべさんがいるから知ってるの。リズさん、いつそんな商売してたの?」
「大学講師とトリマーの間」
「謎、多いなあ」
「そのころ、あたし目当てに通ってくる人妻がいて。もう夢中になられちゃってさ。家庭崩壊寸前。でも、あたしの場合は『職業おなべ』だったから、離婚されても受け入れられないからさ」
「どうしたの?」
「正直に言ったさ。『あたし、こんな格好してるけど、これは商売でさ。男が好きなんだわ』って」
「どうなったの?」
「果物ナイフで脇腹刺された」
「!」
「!」
「ここんとこ。傷跡みる?」
「見ませんよ!」
「だから… ね… 明日香もへこたれずに頑張りな」
「参考にならないですよぉ!」
「お風呂は、だいたい8時には沸かすようにしてます」
「入る順番は? 決まってるんですか?」
「うん。うちの場合は時間が不規則な職業の人ばかりなので、特に決まってはいません。ま、あ・うんの呼吸ってやつかな」
「わかりました」
「たとえ、お風呂が沸いてなかったとしても、シャワーは二十四時間、いつ使っても大丈夫」
「はい…」
「あと、お食事なんだけど」
「えっ、あ、はい」
「うちは一応、賄い付きです」
「そう聞いてます」
「なんだけど、さっきも言ったけど、時間が不規則な人が多いので、時間を決めて食事はしません」
「はい」
「私が、だいたい朝の7時と、夕方の6時に大皿料理とご飯なんかを用意しておきますので、好きな時間にあっため直して、あっちの食堂~つったって大したところじゃないけど~勝手に食べちゃってください」
「逆に助かります」
「で、食べたら、横のノートの『食べた』にチェック! 一回200円。毎月徴収します」
「なるほど」
「食べたら、食器は洗ってしまっといてね」
「わかりました」
「さてと、一休みしますか。座って」
「はい。失礼します」
「お茶、もっと飲む?」
「いえ」
「そう。じゃあ、私は買い物に行ってきますね」
「あ、リズさ…」
「えーっと…」
「…あっちいこうかなあ」
「…僕は、あっちに行くべきだと思うんだ… うん」
「…あっ! なんか眠い! やっぱ非番は眠い!」
「眠い! 眠すぎる! 断然眠いから、ガンガン寝るゾォ!」
「明日香ちゃん」
「ただいま」
「…お帰りなさい」
「いい下宿を紹介してくれて、ありがとう」
「いや」
「賄いがついてるって、すっごくありがたいの。医学部はホラ、時間がないから」
「…」
「作ってる暇ももったいないし。外食は高いし」
「…」
「今日、このあと時間あるんでしょう?」
「…」
「下宿の周り、案内してくれるんだよね」
「…」
「約束したでしょう? 覚えてる?」
「…」
「びっくりしたよね」
「びっくりしました」
「だよね」
「どうして言ってくれなかったんですか」
「ごめんね」
「どうして一言相談してくれなかったんですか」
「…相談か…」
「ごめんなさい」
「ひどいですよ」
「…」
「ひどいですよ。勝手に!」
「…」
「…勝手にそんなことしちゃうなんて…」
「やっぱり、一つ屋根の下に暮らすのは、抵抗ある?」
「…そんなことないけど」
「そんなことないけど?」
「そんなことないです」
「…そう… だったらよかった。あたし、荷物の整理してくるね。本格的に荷物が届くの、あしたなんだけどさ」
「浩美先輩!」
「なに?」
「歩きやすい靴、持ってきてます?」
「スニーカーあるけど。なに?」
「一休みしたら、スニーカー持って、下りてきてください。下宿の周り、案内します」
「…ホントに?」
「…約束だから」
「…わかった。ありがとう」
○同日・夕方
「ああ、もうこんな時間だわ。ええっと… 小林さんは、まだ寝てる。リズさんは… もうすぐ仕事っと。明日香ちゃんと浩美ちゃんはどこ行ったんだろう」
「あたし、ちょっと寝ちゃった」
「そりゃ、しょうがないですよ。これから夜遅くまでお仕事なんですから」
「浩美と明日香は?」
「さあ… あたしが買い物から帰ってきたら、もういなかったみたいですね」
「早速デートかな」
「どうなんでしょう、それは」
「やっぱり、女同士には抵抗ある?」
「というか、なんかあたしまだ混乱して。あ、お食事できてますから、いつでも」
「それにしても、あの浩美って子、いい女だわ」
〜③に続く
2014-01-08 23:13
nice!(0)
コメント(0)
トラックバック(0)
コメント 0